玄奘三蔵会を再興するにあたって

安田暎胤執事長(現・管主)

 玄奘三蔵のご頂骨の請来を縁として、玄奘三蔵のご遺徳を顕彰する立派な伽藍を1991(平成3)年建立することできた。1年目を迎えるにあたり、いかなる形で顕彰すべきかを一山で検討した。薬師寺縁起によると薬師寺にはかつて西院伽藍があり、その中には、弥勒浄土の画像を中心におき、北面には翻訳のために住まわれた長安の玉華殿における玄奘三蔵の肖像画が祀られてあった。おそらく玄奘三蔵会も修せられていたのであろう。

 橋本凝胤長老はよく「薬師寺は玄奘会をやらないかん」ということを強調されていた。しかし薬師寺に関する古文書には、2月は大きな行事の修二会花会式があり、薬師悔過行法を2週間厳修していた。そのためか2月5日の玄奘三蔵のご命日は、1月15日過ぎ「三蔵講廻請可成之」とある程度で、三蔵講が具体的にどのように営まれていたかの内容についての詳述は残っていない。ところが、宗祖である慈恩大師の御忌法要は、11月13日の命日に行ない、今日までも続いている。これは翻訳を終生の仕事とされた玄奘三蔵よりも、一つの宗として教学を組織大成された宗祖を重んずる宗派佛教の特徴であるのかも知れない。しかし本来、奈良佛教は宗派意識にかたよらず、広く各宗を兼学するところにある。その意味からしても、偉大な功績を遺され、しかも宗祖の師匠である玄奘三蔵の法要は、慈恩会よりも軽視すべきではないと思う。しかし残念ながら資料に乏しいため、法要形式の完全な再興はむつかしい。そこで平素からの年中行事を基本としながら玄奘三蔵にふさわしい行事を加味し、顕彰することを試みた。

 まず、日程の件であるが、本来は2月5日にすべきところ、寒中で参拝者にも厳しい条件となるため他の月に変更することとした。3月はまだ寒く、4月は花会式とあって5月5日にしたが、5日の1日だけでは場所が狭く一堂に会することは困難であり、4日、5日の両日とした。4日は講演会と万灯供養、5日は午前を献茶法要、午後は伎楽法要と合計3回に分けることとした。


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