なすべきか?なさざるべきか?西塔再建

 時は薬師寺金堂が再建された1976(昭和51)年4月。高田好胤師は周りから涌きあがる西塔再建の声に如何応えるべきか悩んでいました。精神的には金堂だけで精一杯だった高田好胤師を何が白鳳伽藍の復興に駆りたてたのか?彼の精神的な葛藤などについて述べてまいりたいと思います。

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 西塔再建から伽藍全体復興への道

 高田好胤師の有名な言葉の中に『百里の道は九十九里をもって半ばとす。いや、百里の道は二百里、いや三百里をもってなほ半ばとす』と言うのがあります。百万巻のお写経などで金堂は再建されました。結局、周囲の強い声に推されて、お写経勧進による伽藍復興として再スタートします。高田好胤師の『不東(ひがしせず)』の信念で伽藍復興を目指して再び歩み始めました。
 そして、1981(昭和56)年遂に西塔も落慶します。それまでの道について述べてまいりたいと思います。

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