ここでは歴代住職(別當)が目指してきた金堂再建についてご紹介申し上げたいと思います。薬師寺金堂は昭和の御代に建てられた木造建築としては日本最大級のものです。そして、この金堂再建は単に宗教的な意義を持つものだけでなく、古代仏教建築技術の保存と言う点においても非常に大きな意義があると言えましょう。
 そして何よりもこの巨大な仏教建築の為に使える樹齢1000年を越える檜材が既に日本には無かったという事も特筆に値します。能率や経済効果のみを目指してきた現代の日本人への大きな警鐘である事を忘れてはならないと思います。

 さて、このパートでは1967年(昭和42年)から起工式の行われた1971年(昭和46年)、そして竣工して非常に盛大な落慶法要が行われた1976年(昭和51年)にかけての伽藍復興史の中でも一番の苦難の時期をご紹介申し上げます。

お写経勧進の開始

 お写経勧進は当初手探り状態から始まりました。手探り状態から始まったお写経勧進の歩みをご紹介させて頂きます。

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西岡棟梁の参加と木材の調達

 当時の日本には既に古代建築を知る宮大工が殆ど居なくなってしまっていました。その中で当時法輪寺の三重塔再建に当っていた西岡常一棟梁に薬師寺再建の棟梁就任を要請しました。そして、薬師寺の再建に必要な檜材の調達もまた困難を極めました。

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起工式

 ある程度のお写経勧進の数にも目処が立ち、遂に仮金堂の解堂を行い、金堂再建工事を開始することになりました。その起工式からの金堂復興の歩みをご紹介させて頂きます。

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落慶法要

 1976年4月1日遂に金堂が落慶しました。薬師寺歴代住職の悲願であった金堂が再び奈良西ノ京の地に建ちました。その落慶法要までの歩みとともに、この金堂落慶が次の西塔再建へと繋がる序章にもなったのです。

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